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家内橋 (かないばし)

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 この橋は、二ケ領用水が開削された当時から宮内と神地(ごうち)を繋いでいた。

江戸時代の古文書、新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふどきこう)には

​「慶長年間に金井杢之助(かないもくのすけ)が二ヶ領用水に架かる金井橋のたもとで、一族諸共処刑された金井橋事件があった」との記載がある。

 村人は、この金井橋事件の約200年後の寛政四年(1792)に府中街道に面する地に金井観音と呼ぶ観音像を建立し杢之助を祀った。

 家内橋の名称の由来については諸説あるので、それらを以下紹介する。

 一つ目は、金井杢之助と一緒に処刑されてしまった奥様を憐(あわ)れみ、奥様のことを家内と言うことから、この橋を家内橋として呼ぶことで、奥様を偲んだという説。

​ 二つ目は、金井杢之助の苗字から「金井橋」と呼んだが、忌み嫌う(いみきらう)ことから「家内」と言う当字に変え、「家内橋」と呼んだいう説。

​ 三つ目は、この橋は宮内と神地を結ぶことから、この橋を家の敷地内に置き二つの地区を往来する人々を家人が監視していたので、この橋を家内橋と呼んだと言う説。

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​昭和40年(1965)二ヶ領用水改修当時の家内橋

家内橋  〒211-0051 神奈川県川崎市中原区宮内4丁目32地先

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