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蔵前(くらまえ)

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昭和40年当時の白田1.jpg
​白田耕地

 江戸時代、幕府領(天領)であった宮内村は幕府に納める年貢米を一旦村の「郷蔵(ごうくら)」に集めてから、舟で幕府に納めていた。その蔵のあった辺りを蔵前と言う。郷蔵から年貢米を出す事を「津出し(つだし)」と言い、津出しされた年貢米は多摩川を下り江戸浅草の米蔵に納められた。

 宮内には白田耕地と呼ばれる田があり、そこでとれたお米も「稲毛米(いなげまい)」と呼ばれ、幕府献上米として有名であった。

 宮内村の石高(こくだか)は明治元年当時で約560石、そこから年貢米(税金)として約200石が納められていた。

 一石(いっこく)とは体積のことで、180リットルでドラム缶約1本分になる。また、米俵(こめだわら)に換算すると一石=2.5俵(ぴょう)となる。(1俵は4斗 60kg)

 宮内村の石高を米俵の数に直すと1,400俵となり、年貢米は500俵となる。一回の舟積み出来る量は約100俵あたり、数回に分けて江戸浅草の米蔵に納める年貢皆済(ねんぐかいさい)は村の一大事業であった。

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​米俵

蔵前  〒211-0051 神奈川県川崎市中原区宮内3丁目23

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