庚申塔 (こうしんとう)
金子家の庚申塔。川崎市営バス、東急バスのとどろきアリーナ前バス停から、旧堤防の道を宮内公民館方面に向かって緩やかな坂道を進んで左手、金子家の敷地内に、庚申塔の祠がある。東向きの祠の庚申塔には常に生花がそなえられ、手入れも行き届いている。正面に青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)、台座に三猿(さんざる)、右面には「天保五甲午正月吉祥日」(1835 年)、左面には「願主 金子新兵衞(かねこしんべえ)」と刻まれている。
庚申塔は、江戸時代寛永年間頃より盛んになった庚申信仰を基に、道祖神信仰(どうそじんしんこう)とも結びついて街道筋や村や集落の入り口に広く建立されるようになった。庚申信仰は、中国の道教を基にした民間信仰で、その教えによると、人間の体の中には上中下の三尸 (さんし)の虫がいて、庚申の日になると天に昇ってその人間の罪過を天帝に告げ口をする。すると、天帝はその罪状に応じて邪鬼に命じ、その人の寿命を縮めさせると信じられていた。
この庚申の日、言い伝えを信じる人々は、三尸 の虫が体から抜け出さないように夜通し起きていて会食や歓談をして過ごした。貴族社会に始まった「守庚申(しゅこうしん)」は、「庚申待(こうしんまち)」となり、いろいろな取り決めをして「庚申講」という組織を作り行うようになった。
金子家の庚申塔に刻まれた青面金剛は仏像とは異なり、庚申信仰の中で独自に発展した尊像で、三尸 の虫を抑える神とされている。また、台座の三猿は、三尸 の虫を「見ざる・聞かざる・言わざる」に見立て、自分たちの罪過を見聞きしたり、天帝に告げたりしないようにとの願いが込められているという。
明治になると、政府は庚申信仰を迷信とみなして庚申塔の撤去を命じ、多くが取り壊された。また、高度成長期に入ると道路の拡幅や整備などにより、撤去や移転を余儀なくされている。中原区では、神社や寺院の境内に移転されたものが多い。(川崎市中原区の庚申塔)
庚申塔 〒211-0051 神奈川県川崎市中原区宮内4丁目