道標・薬師堂 (みちしるべ・やくしどう)
これより奥にある宮内薬師堂(くないやくしどう)を案内するために建てられた道しるべである。
石碑には文政7年(1824)石井八左衛門が建立したことが記され、正面には行基菩薩御作 薬師如来、右側には小すぎ、川さき 左側にはみぞのくち、八おうじと彫られている。
府中街道沿いに建てられ、江戸時代に多くの人々が、ここにあった大きな門をくぐり薬師堂へと続く参道を進み参拝していた。現在は大きな門はないが、ここに屋号として「大門」と呼ばれた旧家があった。
薬師堂は隣接する常楽寺に属し、室町時代に造られた釈迦如来坐像を本尊とし、薬師様を中心に両側に日光月光菩薩(にっこうがっこうぼさつ)そして、十二神将(じゅうにしんしょう)を従え,お堂の大きさに合わせて雛壇(ひなだん)のように安置してあったと思われる。
現在は釈迦如来像をはじめ、すべての像が隣の宝仏殿に文化財として安置されている。
薬師如来信仰は平安時代からあったとされ、病気、災難、飢餓などの苦しみから人々を救い導いてくれることから、小田中、小杉の近隣の稲毛荘の村々はもとより、遠く川崎や八王子辺りまで「薬師護摩講」が広がっていた。
昭和43年、常楽寺本堂の大規模な解体修理が行われた。その時、釈迦如来、日光月光菩薩、そして十二神将などの像が修理された。すると、胎内から修理記録の銘札が101枚出てきた。銘札には修理の年月、施主、仏師が記されている。
最初の修理は天文六年(1537)豊臣秀吉が生まれた頃。2回目の修理は、天正四(1576)以降、寛永十三年(1636)、宝永三年(1706)、元文三年(1738)、文政五年(1822)、明治三十年(1897)、昭和五年(1930)と合計8回の修理が行われていた。
薬師堂
道標薬師堂 〒211-0051 神奈川県川崎市中原区宮内4丁目9−37