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金井観音 (かないかんのん)

  江戸時代の古文書、新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふうどきこう)には、「慶長年間に金井杢之助(かないもくのすけ)が二ヶ領用水に架かる家内橋のたもとで、一族諸共処刑された金井橋事件があった」との記載がある。

  この事件について村人は悼み、杢之助をこの地に埋葬し手厚く供養した。その後、この辺りに白蛇が頻繁に出没し村人を悩ませていた。しかし、「白蛇が出ることは、むしろ吉兆の知らせだ」と考えるようになり、寛政4年(1792)に嶋田太良右衛門(しまだ たろうえもん)と石井勘左衛門(いしい かんざえもん)という人が、府中街道に面するこの地に観音様を建立し杢之助を祀った。

  「ある時、生麦の魚行商人が足を負傷してしまい、この観音様に祈願すると。たちどころに治ってしまった」という伝説があり、足にご利益がある観音様と親しまれ、草鞋が供えられるようになった。

金井観音  〒211-0051 神奈川県川崎市中原区宮内4丁目31

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