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大杉福寿稲荷 (だいさいふくじゅいなり)

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大杉福寿稲荷の正面

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 宮内幼稚園の奥の方に曲がりくねった道を進んでいくと、大杉福寿稲荷の鳥居が見えて来る。宮内の住人でも知らない人が多い。

 

 全国でも一番多い稲荷神社。はじめは五穀豊穣(ごこくほうじょう)の神様だったが、江戸時代からは家内安全、商売繁盛の神様としても信仰されてきた。

 

 大杉福寿稲荷は江戸時代の古文書「新編武蔵風土記稿」にも記載されていて、特に石井氏一族の稲荷神社として創建された。

 鳥居には文化11年(1814)2月吉日と刻まれいる。しかし、これは木の鳥居から石の鳥居に再構されたときの記念と思われる。

 そもそも小田原の後北条氏の家臣としての石井一族は小杉村に住んでおり、宮内村に移り住んだのが「新編武蔵風土記稿」では天正四年(1576)とされている。その為、石井一族は徳川幕府以前の昔から宮内に住んでいたということが分かる。屋号は「堀之内」と呼ばていて屋敷の周囲は堀で囲まれいた。

​ 社を覆いかぶせるように建物が建ってあるが、平成六年、世話人九名の他、篤志家二十六名により改築工事がなされたことが改築費奉納者名に残っている。

​ 毎年、初午祭りには宮司が来られ、石井家を中心とした大勢の方々が参集して盛大に神事が執り行われている。

 

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​大杉福寿稲荷改築費奉納者名

大杉福寿稲荷  〒211-0051 神奈川県川崎市中原区宮内3丁目14

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