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​稲荷社建設記念碑

満地也稲荷 (まちやいなり)

  全国でも一番多い稲荷神社。はじめは五穀豊穣(ごこくほうじょう)の神様だったが、江戸時代からは家内安全、商売繁盛の神様としても信仰されてきた。平安時代には春日神社に参詣する奉弊使(ほうへいし)の身支度の場所であったと伝わる。

  2月の初めの午(うま)の日に初午祭り(はつうままつり)が講中の人が集まり行われていますが、これは京都伏見稲荷大社の御祭神が降臨した日が2月11日、つまり2月の最初の午の日であったという言い伝えによる。

そして、キツネは神様の神聖な使者という意味がある。

【現 稲荷社】現在の稲荷社は、平成8年有志によって再建されたことが裏の銘板から分かる。道路からも見やすい場所に移され地域の皆様に親しまれている。

【旧 稲荷社】少し奥に稲荷社建設記念碑があり、旧の稲荷社はその近くにあった。そこには、昭和3年11月御大典(ごたいてん、昭和天皇の即位礼)を記念して、有志により建設されたことが記されている。昭和3年~平成8年までの68年間、満地也稲荷として地域の皆様に親しまれてきた。記念碑裏側には満池也公園とあり、それまでは更地で公園であった事が伺える。

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​稲荷社建設記念碑 裏側

満地也稲荷  〒211-0051 神奈川県川崎市中原区宮内2丁目10−14

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